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元和5年に義弘候は亡くなるが、陶工の芳中は加治木に留まり吉原窯を開いた。 芳中は跡継ぎとして田ノ浦窯から小右衛門を迎え、その右衛門が良質な陶土を見つけ窯を開いた。 窯の名を山本窯と呼び小右衛門も山本椀右衛門と名乗っていた。 山本家は四代で途絶えるが、初代右衛門に入門した川原藤兵衛が山本窯を引き継ぎ他の薩摩焼と一風違った独特な技法を用いる薩摩焼が龍門司焼と呼ばれる様になった。
その川原家でも陶祖と言われているのが、藤兵衛の次男十左兵衛で、十左兵衛は子である弥五郎遊斎と幾多の苦労を重ね、龍門司焼の釉薬を完成させた。 それは、秘伝として現在の龍門司焼窯元である次郎太窯に受け継がれ現在も改良を重ね続けている。